2013年12月1日日曜日

終電後の駅の灯り

この本は良いよ、と言われて借りたふるい随筆の本を読んでいたら、随筆という行為の、そのクリーンさに泣きたくなって、わたしは、ここのところずっと、やけくそだなあと思った。
最近では、なにか悲しいことがあっても、その悲しささえ、緻密に捉えることができなくなっており、むしゃくしゃしながら「あーもう」とか、「もうやだ」とか、そういうつまらないひとりごとでその場をしのいだり、悲しいということだけを思って、思考をめぐらせることも、動くこともせず、ただ、立ちすくんだりしゃがんだりしてしまうことが増えた。

悲しみを因数分解して、ならびかえたり飾ったりして文字に起こしてみたりして悲しみさえ美化してみることが、以前のわたしには救いだったのだけれど、そのことを結構情けないことだと思っていて、
しかし、それすら出来なくなっているいまの状態のほうが、本当に情けないぜとおもう。

どうせ悲しく、どちらにせよどうしようもないのなら、逃避じみた悲しい詩人を気取る方が、若干、生産性とかもあるんじゃないかと思うし、いまから帰れるのなら、帰りたい。



2013年10月15日火曜日

あんまりブログしていないけどアクセス数みたいなの見ると見てくれてるひといるし、半年くらいまえにじぶんで書いたもんよんだら理由はめちゃくちゃだけど声をあげてなきたくなりました。

あんまりブログしていないけど最近はうそばっかの話を書いてまとめたくて紙にかいてるけど毎日やぶって捨てています。
うそを書いてるつもりなのに本当に思ってる事に通じてしまうからすてています。

めちゃくちゃな日本語をつかいたいな。


2013年9月27日金曜日

アイスコーヒーに浮かべたり沈めたりした氷が良い音たてるうちは夏でしかしこの頃はガラガラと鈍い音のする

はたして夏とは何であったのか

2013年8月29日木曜日

白光

さまざまないろから白いひかりがうまれ
白いひかりはなによりもあかるく
白いひかりのなかに山並みはもえる

そういうことがあるから
大学生のときに、もっと照明のことを学んでおけばよかった






2013年8月25日日曜日

ジャガイモの皮を剥きながら考えるのはいつも悲しいこと
水のくさったような匂いは人間のにおいだとおもう
完成されようとしている
それを食い止める
床に落ちた髪
短い夏

2013年8月17日土曜日

真っ暗な回送列車がそろそろとホームを通り過ぎて行く
来そうで来なかった世界の終わりをみているような気持ちになる

2013年8月12日月曜日

映画「勝手にしやがれ」のことを思い出していて、ああパトリシアくらい金髪に染めたいないいなあと考えたのだけどそういえばあれ白黒映画だった

ゴダールの映画の大半は下世話な印象で見終わった後などにはクククとおもう


2013年8月4日日曜日

死と美について

日本橋のホームで死んでしまった人を見かけた。
小雨の降るじっとりとした朝だった
わたしはその日何ともなしに悲しかったので、
こんな朝にあのひとが死にたくなる気持ちがわかるような気がした
青いビニールシートに覆われていくそのひとは、
死んでいた

わたしは憂鬱な乗り換えのために混雑した階段をのぼりながら、
足の筋肉が重くなるのを感じて、自分の生きていることを自覚した
いまのところ死んでしまうことはないだろう
刃物で突き刺されても死ななさそうだ
かといって刺すのはやめてください

自分がまだ死ねないと思っているのは、
志半ば、とかそういうことよりも、
死ということが大層美しいものであるように、
近頃は思えてならないからだ
究極の美であるかのように思えるからだ
そしてわたしはまだそこまで美しくなりきれていないからだ

美しさということについて
たとえばその定義について
ほんとうの美しさというものについて
わたしは考えたことが今までになかったが
ある感覚で、美しさの究極というものを
死ということに位置づけてみたら、
なにもかもがしっくりくるような気がした

事実、わたしの母は、
病を患いながらもきちんと生きているが、
2年程まえから、そして近頃は顕著に
死という事を覚悟しているように見える

無論、母だってほんとうはまだ死にたくもないだろうし
死なないための努力もしていて、
血の湧くように生きる事を望みながらも、冷静な気持ちで死を受け止めている

そういう母の姿は
からだこそ老い、少しずつたしかに病人らしくなってはいくが、
今までわたしが彼女の娘として生きてきた人生の中で
最近が最も優しく、最も強く、美しくなっていくのだ
母は生きている

生きる望みを断たずに死を覚悟するしたたかさが母を美しくするのかもしれない
そうして美しさをどんどん増して、すこししたら究極の美に到達してしまいそうだ
わたしにはその美しさがまだ恐ろしい

母の美しさよ未完成であれ、と、わたしは願う
母は優しい曲線を描いて昼寝をしている
明日から母はまた入院をする
病院のご飯がまずくて嫌だと言っていた
母はまだ生きている








2013年8月2日金曜日

下着を裏返しに着けていることに気付いたのはだれもいない夜道信号待ちでそっと自分の腰骨のあたりを触ってみたときだった。静まり返ったこの街のひとたちはわたしのパンツが裏返しだなんて知りもせず眠りについているであろうと思うと孤独を優しく舐めるような気持ちになった。

2013年7月28日日曜日

姿のない声は、
いつも「れ」とか「や」とか「う」とか
そういうことを言っていて、
とくに、言われていやなことは、ないので、
いまのところは、なにも、気にしてなんかいません。

ただし、今後、ほんの少しでもわたしを悲しませたり、
嫌な気分になるような台詞を吐きやがったら、
それは、もう、ただちに、わたしは、
その透明に立ち向かうつもりで
きっと、壊すか壊されるかだなあ。





2013年7月25日木曜日

夏のブルマ


ああ2時間連続体育だるいからきょうはサボるか、
平常点たりなくなりそうだけどなんとかなるかな。

すると自転車置き場の影から聞こえるはずのない声が聞こえてきて砂嵐がザアザアザア。

そしてベランダに干しておいたはずのブルマが跡形もなく消えていた。もう2時間眠るかな、


2013年7月20日土曜日

今年はなんだか唐突に夏がきたような気がして落ち着かず、心の中の虚しい部分に日差しが照りつけるたびきしきしと痛んで、風邪がなかなか治らないどころかどんどん悪くなっていく。
喉を痛めて軋んだような声しか出ず、今朝などは熱でぼんやりとして、通勤電車に乗っているのに何故かもう既に会社の会議室にいるような錯覚がするので、どうしようもなく休みをいただいてしまった。

久々に平日昼間の自宅にいると、その、あまりに透き通った静けさにハッとする。たとえば窓の向こうで金魚の跳ねる音が聞こえる事は、数ヶ月前、会社に入る前の暮らしの中では当たり前のことで、納品前などに慌ててミシンで作業をする合間などに耳にしては「またけんかして、うるさい金魚だ」などと常々思っていたのだが、実はこのパシャというのは静けさの部類に含まれるのだなと、今になって気付く。会社にいるときに聞く、複数の人間が延々と黙って叩くパソコンのタイプ音や、昼前に鳴り止まなくなる電話のベルや、コピー機が嬉々として働く音など、生産性のある、社会が社会として在るために必要不可欠な音たちのことを、いっそ雑音と名付けてしまいたくなるほど、窓の向こうで金魚の跳ねるパシャという音は透明で、唐突な夏の日差しに照らされてゆらゆらと輝く。

わたしはしばらくの間その静けさにそわそわしていたが、熱さましの薬などを飲んで、静けさに埋もれているうちにとろとろと眠り、いろいろと夢を見終わるころには、起き上がって金魚の水槽を眺めにいこうと思えるくらいの健康な思考を取り戻していた。

ほんとうはずっと、金魚がああやってパシャと跳ねるのが、心底うらやましい。






2013年7月15日月曜日

2013年7月11日木曜日

早起きしてひいた口紅を手で拭い痴漢のおっさんのスラックスを汚してみる朝

2013年7月8日月曜日

寒いときなどはからだの外側がガタガタと震えますが
からだの内側が震えるとなみだが出ます

夏の虫は羽を震わせて鳴いています

2013年7月7日日曜日

だんごむしの感じ

まちがってだんごむしを踏んでしまったら、だんごむしの感じがわかった

2013年7月1日月曜日

エレキギターで人が殺せるのではないかということに、最近になって気が付いて、わたしの部屋には、もう7〜8年前からエレキギターがあるんだけど、そんなことを考えてしまったのははじめてで、自分が恐ろしく、みじめに思えて、涙がでた。

それでも近頃はギターを弾くのがたのしく、そのうち、どうにも人を殺せなさそうな、あたらしいギターを買おうと思ってる。

蚊取り線香

ベランダのどこかに匂いがあって、しかし蚊は網戸のあたりでいっそう生き生きと活力にあふれ、一方わたしはぼんやりとして、この匂いは去年の夏に嗅いだ、あるようでない匂いだなあと考える。

そういえば去年の今頃、わたしはなぜか他所の会社の会議室にこもって蚊取り線香をつくっていた。それがけっこう大変で、たとえば今日のような夏のはじけそうな晴天の日など、あのときさんざん私を悩まされた蚊取り線香の匂いが、自動的に思い出される。

しかし記憶の香り香で蚊がとれるはずがなく、そろそろ新しい蚊取り線香を買わなくてはならない。




2013年6月27日木曜日

ビール

部屋の隅で縮こまって、缶ビールをプシュとあけた瞬間、身体がしゅるしゅると縮小し、300分の1くらいのサイズになって、もうどうしようもなく、仕方がないから缶をよじ登り、一口ものんでいないビールのなかに、そっと飛び込んだ。

2013年6月26日水曜日

うさぎ


夜道にて、

「あなたは神を信じますか」とかそんなようなとりとめのないことを言って、わけのわからない分厚い本を差し出してきた女性がいた。

彼女は30歳くらいで化粧っ気はなく、小麦農家のおばあさんみたいなもったりとした服を着ていて、片手に大きなカゴを持ち、そのなかに生きた白いうさぎを忍ばせていた。

その姿はまるでB級映画のようで、ああ宗教など空想の物語でしかないのだなあとわたしは思い、
彼女の持つゲージをふんだくって、うさぎを青梅街道の中途半端な歩道に放し、勢いよく走り出したうさぎと並走して、自転車で帰路についた。

自宅について息を切らしているうさぎを抱きかかえようとすると、うさぎはするすると消えてしまって、わたしは、得体の知れないものを信じるのなんて向いていないよと、投げやりな気持ちになって、そして、今。