2013年4月18日木曜日

417


日記。

きのう 2013年4月17日

渋谷シネクイントで幻想と詩とエロチシズムの「寺山修司◉映像詩展」を見る

日替わりでいろいろやってて、そのうちの実験映画集2という回。
『檻囚』『トマトケチャップ皇帝』『ジャンケン戦争』『蝶服記』『書見機』『二頭女-影の映画』の6本の短編映画がひとまとめで見られる。

6本の中で一番印象的でなんだそれっておもったのは「ジャンケン戦争」かなあ。将軍と皇帝らしき恰好をした男が延々じゃんけんぽんをして、負けた方は勝ったほうに砂を掛けられたりタイヤで殴られたりパンツのなかに石を入れられたりする。ただそれだけの15分間。
この醜い戦いがおそらくこの世のなにかしらをたとえているのだろう、と考えると確かにそんな感じがしてくる。よくわからないけれど。ちなみに一部youtubeにあった。





評判を聞いて期待してたけど短縮されていて消化不良だったのが『トマトケチャップ皇帝』。子供のアナーキーさだけが胸にこびりつく。ほんとはジャンケンのやつもこの作品の一部だったらしい。完全版で見たい。

実験映画は大抵一度見ただけじゃ意図を汲めないけど好き。
わけわかんないから好き。
適度にぼんやりと、適度に探りながら、見ていることができる。
反社会性の精神を持ち合わせた人などはきっとそうではなくて、寺山修司に限らず大半の実験映画を熱い気持ちで見る事ができるのかもしれないなと思うのだけれど、おそらく私は社会に反旗を翻したいなんて微塵も思っていないと思うからぼんやりと見る。あと頭が悪いから。


土曜日、今度は『書を捨てよ町へ出よう』を見に行こうと思う。
これ、同名の本は読んだのだけれど、寺山修司の小説はどうも苦手。どうも、男くさすぎるというか、ヤンキーくさくって。こういうとき、自分は女なのなあ、と思う。

それから、ポスターハリスで関連展示(ポスターハリスギャラリー『寺山修司と天井桟敷◉全ポスター展』)もやってるらしいのでそれも土曜日に。



本当は天井桟敷の舞台が見たいから70年代に生まれればよかったなあとおもう。
『毛皮のマリー』を再演して欲しい。パルコさん。美輪さん。
あと『観客席』の戯曲をずっと読みたいんだけど図書館にない。本当は再演してほしい。




メモでしかないひどく怠慢な日記になってしまったけどおしまい。

下書きはたくさん、あるのだけれど、
なかなかしっくりかけないなあ、せっかくはじめたのに。


2013年4月10日水曜日

なまやさしい


すべてのやさしい人は皆、めちゃめちゃ抱えこんでるのだろうなと思う

いつも笑っているけれど
心のなかにはいつだって爆発しそうな気持ちがあるのだろうなと思う

わたしはあんまり怒ったりはしないけどほんとの優しさを持ち合わせていないので
今朝、部屋に飾っていたチューリップが枯れていたということだけで、いろんなものが鬱陶しくて爆発しそうになって、できるなら何の気か知らないけれど放たれるどこかのミサイルをひとつづつ握りつぶしたいくらいむかついている。

やさしい人はつよい人だから、爆発しそうな気持ちを強さでなにか良いものに変えることができるけど、
わたしは、つよくないので、枯れた花をおもいきり外に捨ててしまった。
花は何も悪くないんだけど、ただ、枯れた姿ということが、どうにも耐えられなくて、わたしをいま悲しくさせないで、と思って、投げるようにすててしまった。さようならも言わなかった。


だけれどわたしも人として、つよくやさしくいなくちゃならんので
常に笑って溌剌と暮らしていけなきゃこまるので

じゃあどうしたらいいんだっていう話です。
美談にすらできないな。なにがむかつくわけでもないんですけどね。













桜が咲いていないいま

あまりにも開きすぎたチューリップは狂った年増な女みたい









2013年4月2日火曜日

夢日記とメモ


うたた寝をしていたら、夢に若い頃のムラカミハルキが出てきた。
まあわたしは若いころのムラカミハルキがどんな顔かしらないはずなんだけど、夢のなかではその若い男がムラカミハルキであるということに合点がいってたので、ムラカミハルキなんだろうと思う。

わたしはその若かりしムラカミハルキと2人でいた。古い家の縁側のようなところで、話をするわけでも、キスをするわけでもなく、ただ、黙っていた。わたしは床に座っていて、彼はそこらを少し歩いたのち、少し離れたところに座った。

ムラカミハルキはすらりと背が高くて、耳にかかるかかからないか位の長さの黒髪で、学生服に下駄を履いていた。色白で、憂いを帯びたような整った顔をしていた。無駄のない足取りでてくてくと歩き、必要以上に笑うことがなかった。かっこいい人だと思った。すごくすごく、かっこいいんだなあ、と思いながら見ていた。

彼はわたしに、
「ピスタチオのジェラートが食べたいね」
と言った。唐突にそう言ったのだった。
わたしは何も言えなかった。何か言いたいことはたくさんあるような気がしたけれど、言葉にならず、なにかを試すような彼の横顔を黙って見ていた。

そういう夢だった。

うたた寝から覚めると、わたしは夢の続きについて延々と考えた。あのとき、どうするのが良かったのだろうかということを。

・すぐにその場を立ち上がってバスに飛び乗り街に出て、ピスタチオのジェラートを買い求める。
・そこまでしなくても魔法のように冷凍庫からピスタチオのジェラートを取り出し、グラスに盛り付けて見せる。
・なんならついでに庭に降りていって、ピスタチオの木(ピスタチオが木に生えるものなのか、はたまた庭に生えるものなのかは知らないけど)の下に梯子をたて、2つ3つもぎとってジェラートの傍らに飾り付ける。

たとえばそんなふうにしていたら、ムラカミハルキはどんな顔をしたであろう。わたしと彼は、笑って話をしたり、キスをしたりしただろうか…!


そんな風に来るはずのない夢の続きに思いを馳せたところで、実は村上春樹の作品は、『ノルウェイの森』しかちゃんと読んだことがない。
『夢で会いましょう』というのも最後まで読んだけれど、あれはたしか糸井重里との共著だった。あと『1Q84』を途中まで読んだけれど、途中で古川日出男の新刊に浮気して、結局最後まで読んでいない。

だからそれといって村上春樹のファンというわけでもないのだけれど、唯一最後までよんだ『ノルウェイの森』の中に、忘れられない一節がある。

それは主人公のワタナベくんとミドリがする会話で、長くなるけれど抜粋してここにメモしておく。夢の中でピスタチオのジェラートを食べたがるムラカミハルキに出会わずとも、これからも度々思い出して考えることの多い内容だと思うし、朝までまだ時間があるので。

ーーー

「私すごく完璧なものを求めてるの。だからむずかしいのよ」

「完璧な愛を?」

「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めてないのよ。私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。
たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて、『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなものもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めてるのはそういうものなの」

「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな」

「あるわよ・・・女の子にはね、そういうのがものすごく大切なときがあるのよ」

「苺のショート・ケーキを窓から放り投げることが?」

「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショート・ケーキを
食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい?チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』」

「するとどうなる?」

「私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」

ーーー

この会話について、村上春樹好きの友人と何度か話をしたことがあったが、大抵「見返りを求める愛」だとか「無償の愛」とかいう話になった。
でも誰も愛のことなんてわからなくて、途中でこっぱずかしくなって、結局「ミドリとナオコ、どっち派か?」みたいな話に落ち着く。

わたしたちはそうやって何度も愛の定義を、居酒屋の天井に宙ぶらりんにしてきたものだ。

ミドリだって「そのぶん愛する」っていうのがどんなことなのか、宙ぶらりんにしたまま掴めずにいるように思う。

ミドリの言う「そのぶんの愛」の概要はおそらく、彼女たちの寂しさや弱さや傲慢さや必死さや不安のかたまりだ。
それがどのように表されるのか、いや、愛っぽく表すことができるのかどうかは、彼女たちにとって、わからないことなのだ。わたしにもわからない。
そしてそれは村上春樹にも、ムラカミハルキにとっても同じようにわからないことなのかもしれない。


そのわからなさ、むつかしさ示すかのように、わたしが先程読んだと書いた糸井重里と村上春樹の共著『夢で会いましょう』の中で、村上春樹は『ブルーベリー・アイスクリーム』というタイトルの短編を書いている。

その短編はこうはじまる。

ーーー
「ブルーベリーのアイスクリームが食べたい」と夜中の二時に彼女が宣言した。

ーーー

ミドリみたいな彼女が、ここにもいるのだ。
そして物語の主人公はそんな彼女のために、実際にブルーベリー・アイスクリームを探しに行く。
だけどそんな真夜中にブルーベリーのアイスクリームだなんてそう簡単には手に入らなくて、けっこうとんでもない面倒に逢うんだけど、なんとか手にいれて彼女のもとへ戻る。で、ネタバレしちゃうけど彼女は既にぐっすり眠っているんだ。そして何を責めるわけでもなく話は終わる。主人公にその分の愛は与えられない。

愛はむずかしい。夢に出るほどわからない。どんなに考えたって、自分がきちんとなにかを愛することができるのかわからないし、与えられた愛にさうまく気付けないようにも思う。
だれかと語り合いながら紐解こうとしたって、小っ恥ずかしさのわりに厄介で、堂々巡りの代物だ。

ムラカミハルキは夢のなかでそれについてわたしに問い、宙ぶらりんのわたしはなにもできなかった。

でも、もういっそあの時「一緒に買いに行こう」って言えばよかったのかな、とはちょっと思う。そういうことじゃないのかもしれないけど。全然違うって言われてしまうかもしれないけど。

でもほんとうはそれがいいな。一緒に買いに行って、愛とかはそのあとでいい。よくわからないし。






















2013年4月1日月曜日

満月

嘘のような月は嘘つき
餅のような月は餅つき
行けばすぐ住める月は家具家電つき
きつい月はきつつき
きょうみんなは嘘つきなんだね

ほんとのことなんて今日くらいしか言えない
みんなみんなだいきらい
この世よおわれ
世界のおわりに
ほんとうにほんとうのことを言います



狼みたいのが遠くでないてる
今夜は満月かな
外に出ていないのでわからない







2013年3月28日木曜日

時間が過ぎるのがはやすぎて。

遠くにいきたいな







2013年3月27日水曜日

湘南乃風『純恋歌』に関する思い出と考察


昨晩、ねむる支度をしていたら外から湘南乃風が聞こえてきた。
近所の不良が車で流しているのだろう。
夜空へ響け愛の歌、とのことだ。

大ヒットした湘南乃風さんの「純恋歌」だが、わたしの知り合いでこの歌をリスペクトしているひとは2人しかいない。

1人は、高校生のときバイト先で親切にしてくれていた1つ年上の男の人だ。
カラオケに誘ってもらって行ったときに「これは今オレの心にスッポリはまる歌」と語った上で心をこめて歌ってくれた。

わたしはその時まで「純恋歌」を聞いた事がなかったので、一生懸命歌詞をひろいながら聞いた。

しかし、この歌はわたしにはなかなか理解に苦しむものだった。
まず、この歌の中に登場する人たちは、おそらく言い回しやその遊びっぷりから判断して自分のようなインドアな人間ではない。
しかも、主人公が惚れた女の人が主人公のことをどう思っているかを測れる部分が一切登場しないから、いまいちストーリーにドキドキを見出せない。
自分とまったくタイプの異なる男が「いい女と出会ってこれ俺マジだわ」って高ぶってるのを延々聞かされたって、なんていうかこう「そうですか…」としか思えなかったんだ。


その上、バイトのお兄さんはクライマックスの部分で突然わたしの肩を抱き、ご自身の額のあたりをわたしの額にくっつけてグリグリしてきた。

びっくりした。
彼は年上だけどタメ語でいいって言ってくれたからずっとタメ語で喋ってたんだけど、純恋歌の直後からまた敬語で話してしまうようになった。
べつに嫌がらせとかバカにしてるとかではない。クラスのリーダー格に対してクラスの地味キャラが敬語で話すのと同じで、自然と敬語になってしまったという話だ。

女子の中にはそんなことされたらたまらなくキュンときちゃう人も多いんだろうけど、たぶんそういう女の子は純恋歌の歌詞のなかに出てくるような人たちで、そういう人たちの方が世の中には多いからあの歌はすごく流行ったのだろう。

ただわたしはあの頃、サブカルへの憧れをこじらせたキャピキャピ感に欠ける女子高生で、メインカルチャーに自然と精通するキャピキャピした人たちに対して卑屈な劣等感を感じていた。だからもう、折り合いが付かなくなった時にパチンコに行って景品持って謝りにかえる、なんて恐ろしい話でしかない。

もちろん、その人が悪い人というわけでは全くなく、胡散臭いわけでもなく、むしろとても立派な人であったし、おそらく純粋な気持ちで純恋歌に共感していたのであろうから、ただただ私がそれに至らなかったというだけのことなのだけれど。

カラオケのあと彼はわざわざ純恋歌のCDを貸してくれたので、わたしもその時はまっていた銀杏だかZAZENだかのCDを貸そうとしたのだが、以後疎遠になった。

元気かなあと思うけど、純恋歌の印象がつよくて名前を忘れてしまった。


ちなみにもう1人の純恋歌リスペクターは3つ年下の、私の弟である。

純恋歌がチャートにあがらなくなってしばらく経ってから純恋歌を聞き出したちょいズレな弟は、おそらく歌詞がどうとかではなく、ただあの「仲間!海!ドライブ!」みたいなイメージを彷彿とさせるサウンドにハマっていたのであろう。たまに自宅で熱唱することがあったが、歌詞がことごとくテキトーだった。

ここらでもうずっと忘れられない弟のメチャメチャ純恋歌の歌詞を紹介し、この傲慢でしょっぱい自己顕示的な雑文を締めくくろうと思う。

以下、我が弟のうたう純恋歌の歌詞。

「大貧民の彼女のオレ
おいしいパスタ作ったオレ
家庭的なタイプの女、オーレ
ベタ俺〜

大貧民に俺マジギレ
それ見て笑って楽しいねって
家庭的なタイプの女のオレ
オレオレ〜

嬉しくて嬉しくて
柄にもなくスキップして
好きっていいてえ、
おぼろげなオレをみつめる君に釘付け

守りたい女って、思ったはじめて
真面目な顔してギュッとベタ俺〜

目を覚ませば幾千のオレ
いちばん好きなお前が欲しい
はじめて一途になれたよ〜
夜空へ響け純恋歌〜

※ 以下繰り返し 」


とのことだった。