2013年5月26日日曜日

ムカ着火ファイヤー


弟が整髪料を付けすぎるので家中に整髪料のいやな匂いが充満してわたしはその嘘で誘うような甘ったるい匂いがどうにも耐えられず思いきり弟を怒鳴りつけた。
以後、自分の目の前で起こるすべての事象が腹立たしくて腹立たしくて仕方なくなってすべてのことに全部キレた。それはブレーキの壊れたオートバイに沸騰して吹きこぼれている鍋をのせて時速150キロで走るくらいの怒りだった。友達を傘で殴り、友達の恋人を罵倒し、知らないオヤジに蹴る殴るの暴行を加え、親に暴言を吐き、傘で殴り返してきた友達の乗り込んだ電車の窓を割り、傘をぐにゃぐにゃにしてどこかの家に投げ込んだ。それをみた男がわたしを捕まえて「おまえが如何にひどい女か全部明らかにして泣かせてやる」というのでまたメチャメチャに怒鳴ったが男はいちいち「ナンセンス」とか言って女を論破することだけが生き甲斐だぜみたいな顔をするので余計に腹が立って服を全部脱いで空を飛んで逃げた。

ここに書いたのはほんの一部で本当はとてもじゃないけどここに書けないようなことたくさん言ったりやったりしてほんとうに大人げないしひどいと思うけど爽快でもあった。
傘を投げた友人とその恋人には謝っていたしまとめていろいろブチギレたのでしばらくの間つよく優しく穏やかに暮らせそう。




2013年5月22日水曜日

泣きたい気持ち


泣きたい気持ちになることがあるけどそれって本当にどうかしています。
夕日を見ると泣きたくなるというひともいるし妙なものです。あえて泣くことを望むだなんて人間の機能が誤作動を起こしているかのようです。

たとえば顔に水が溜まっちゃって溜まっちゃって排水しないことにはどうしようもない、といった状況に置かれた場合なら涙を流すのはとっても効率的かなあと思いますけれどそんなことは無いし、なんだかんだ言ったところで現実は結局「泣きたいのに泣けない」っていう結末に至ったりするわけだからいよいよわけがわかりません。





茶しばき


高校生のときからわたしはずっとお洒落で都会的なカフェにいくのが好きなんだけど最近はどちらかというとそういうお洒落カフェに入るよりもおじいさんがうなりながら新聞を読んでるようななんか茶色くて古臭い喫茶店に入るのが好きになってきて私もうおじいさんなのかなって心配してたんだけど今日は久々におじいさんモードじゃなくて全てのテーブルで髪の黄色い女の人たちが大きな声で男の人の話をしているような洒落込んだカフェにどうしても入りたくて吉祥寺の東急裏にあるそういうカフェに入って書き物をしていたらテーブルに備え付けられているキャンドル的なやつの火で前髪を燃やしそうになった。

ちなみにわたしの前髪は生まれてこのかたずっと変で伸ばしても変だし切っても変だしなにをどうやっても変でほんとうに悩み。





2013年5月20日月曜日

五月二十日


・坂口安吾が「太宰治は情死したわけではない」と書いていたので嬉しかった。
でもそれを嬉しいと思った自分にちょっと引いた。

・仲間うちでなぜか「お銭湯」とか「おナイフ」とかいった感じに単語の頭に「お」をつけて微妙に丁寧さを出すというばからしいことが流行っているのだけれどさっきニュースをみていたら「天皇陛下 お田植え」という見出しが出てきてそれはぜんぜんばからしくなくてここ数日で一番テンションが上がった。


・友人がみんなして大森靖子さんのアルバムを良いというので聞いてみたらとてもかっこ良かった。ライブなどがあったら見に行きたい。









五月のばらのこと


きょうは昨日までにくらべて涼しかったものの、春ということに変わりはなく、春だから眠たくて、昼間にすこしだけ横になって眠りました。
幾分かすっきりしたような気がしたけれど、昼過ぎに夕飯の買い物に出たら、いまにも雨のふりそうな予感がするくせになぜか日向だらけだし、曖昧な感じが鬱陶しくて、すぐにまたぼんやりとしたくなりました。

きっと五月のこういったモヤリとした空気が、いろいろな物事の輪郭を曖昧にして、大人を憂鬱の淵に追いやるのかもしれないなあと、ため息が出て、そういえばこの間、友達の元気がなくて「どうしたの」ときいた時、友達は「ゴガツビョウだよ」と答え、持っていた紙パックのジュースのストローを遠い目のまま口にしたのだけれど、そのままただストローをくわえているだけで、ちっともジュースを飲んでいなかったことを、ふと、思い出しました。きっとその友達も五月のモヤリにぼんやりさせられていたのだろうと思います。だからほんとうに、五月はこわい。

ただモヤリの五月に、唯一救いがあるとすれば、それはそこいらじゅうの住宅などの垣根におおぶりのバラがばつばつと咲いていることで、何が良いかって、あれだけ大きくて美しいバラであれば、さぞ大きなとげをたくさん持っているんであろうくせに、バラ自身それについてどういうつもりでいるのか、飄々としていてわからないところ。それから、花びらの折り重なりの完璧さ、1つ1つの花の配置のバランス、凛とした趣もだらしない色気も持ち合わせた丁度いい塩梅で頭をもたげているところも、ぜんぶいい。

そういうバラたちの暮らしに道端のところどころで出くわす度、わたしは救われたような、愛おしいような、とても晴れやかな気持ちになります。他所のお宅のバラだけど、挨拶のひとつでもしたいくらい。

こうやってバラのことを思い出すだけで気分が良くなるわけだから、バラは、少なくともわたしにとっては、ゴガツビョウの類いには抜群に効くわけです。一昨年のちょうどいまごろ、家族に悪い病気が見つかったりいろいろで、ほんとうに落ち込んでしまった時期があって、そのときはもう、ほんとうにだめで、自転車でただ道を通っているだけなのに、「もういやだ」とかそういう言葉が、口をついて出てくるほど腐っていたのだけれど、兎にも角にもそれがバラの咲く時期で、わたしはほんとうに助かった。もし、あれが真冬の、枯れ木枯れ草だらけの時期だったら、わたしはもうここにちゃんといたかどうかも分からないんじゃないかと思うし、だからバラが飄々と咲く世界で暮らせて幸せです。生まれ変わったら、わたしもそういうバラになりたい。

いま部屋の窓を開けているのだけれど、こうしてバラのことをかんがえていると、雨のにおいに紛れて、どこからともなくバラの香りがしてくるような感じがします。もういっそ窓をあけたまま寝てみようか、いい声きこえそうか、と思うんだけれど、風邪ひいちゃうからだめか。まあ窓閉めて寝たって、結局部屋が寒かったり、ちゃんと布団かけなかったりしたら風邪ひくと思うし、やっぱり開けたまま寝たって、かまわない気がします。わたしはちゃんと布団をかけて眠るし、窓しめたところで夜があけそうです。














2013年5月17日金曜日

子供用紙エプロン


ひと仕事終えて屋台みたいなとこで1〜2杯ビールをのんで帰ってきてズボンをぬいだら後ろのポケットのところに「子供用紙エプロン」「高円寺発送(終演後処分)」と書かれた仕分け用のテープが張り付いていた。
恐らく私は今日ずっとこの状態で人としゃべったりほっつき歩いたりビールを飲んだりしていたのだろうしどうして誰も教えてくれなかったのだろう。

恥ずかしいので今後は子供用紙エプロンとして生き高円寺に発送され処分されてしまいたいところだけど、以前同じような感じでTシャツの背中に「かつら」と書かれたガムテープがへばりついていたこともあったし、しかもその状態で終電を逃したりして本当に最悪だったけど終電後の街で急に髪をむしり取ったりしなかったから今回もへこたれない。


2013年5月15日水曜日

おじさんについて

振り返ればおじさんに絡まれることの多い人生だが先日一緒に出かけた友人が分析するに「おまえがそのへんのおじさんをいちいち見るから暇を持て余したおじさんが暇つぶしに喋りかけてくるんだ」とのことだった。

なるほどわたしは実はおじさんが好きなのかなあ。