2013年7月28日日曜日

姿のない声は、
いつも「れ」とか「や」とか「う」とか
そういうことを言っていて、
とくに、言われていやなことは、ないので、
いまのところは、なにも、気にしてなんかいません。

ただし、今後、ほんの少しでもわたしを悲しませたり、
嫌な気分になるような台詞を吐きやがったら、
それは、もう、ただちに、わたしは、
その透明に立ち向かうつもりで
きっと、壊すか壊されるかだなあ。





2013年7月25日木曜日

夏のブルマ


ああ2時間連続体育だるいからきょうはサボるか、
平常点たりなくなりそうだけどなんとかなるかな。

すると自転車置き場の影から聞こえるはずのない声が聞こえてきて砂嵐がザアザアザア。

そしてベランダに干しておいたはずのブルマが跡形もなく消えていた。もう2時間眠るかな、


2013年7月20日土曜日

今年はなんだか唐突に夏がきたような気がして落ち着かず、心の中の虚しい部分に日差しが照りつけるたびきしきしと痛んで、風邪がなかなか治らないどころかどんどん悪くなっていく。
喉を痛めて軋んだような声しか出ず、今朝などは熱でぼんやりとして、通勤電車に乗っているのに何故かもう既に会社の会議室にいるような錯覚がするので、どうしようもなく休みをいただいてしまった。

久々に平日昼間の自宅にいると、その、あまりに透き通った静けさにハッとする。たとえば窓の向こうで金魚の跳ねる音が聞こえる事は、数ヶ月前、会社に入る前の暮らしの中では当たり前のことで、納品前などに慌ててミシンで作業をする合間などに耳にしては「またけんかして、うるさい金魚だ」などと常々思っていたのだが、実はこのパシャというのは静けさの部類に含まれるのだなと、今になって気付く。会社にいるときに聞く、複数の人間が延々と黙って叩くパソコンのタイプ音や、昼前に鳴り止まなくなる電話のベルや、コピー機が嬉々として働く音など、生産性のある、社会が社会として在るために必要不可欠な音たちのことを、いっそ雑音と名付けてしまいたくなるほど、窓の向こうで金魚の跳ねるパシャという音は透明で、唐突な夏の日差しに照らされてゆらゆらと輝く。

わたしはしばらくの間その静けさにそわそわしていたが、熱さましの薬などを飲んで、静けさに埋もれているうちにとろとろと眠り、いろいろと夢を見終わるころには、起き上がって金魚の水槽を眺めにいこうと思えるくらいの健康な思考を取り戻していた。

ほんとうはずっと、金魚がああやってパシャと跳ねるのが、心底うらやましい。






2013年7月15日月曜日

2013年7月11日木曜日

早起きしてひいた口紅を手で拭い痴漢のおっさんのスラックスを汚してみる朝

2013年7月8日月曜日

寒いときなどはからだの外側がガタガタと震えますが
からだの内側が震えるとなみだが出ます

夏の虫は羽を震わせて鳴いています

2013年7月7日日曜日

だんごむしの感じ

まちがってだんごむしを踏んでしまったら、だんごむしの感じがわかった

2013年7月1日月曜日

エレキギターで人が殺せるのではないかということに、最近になって気が付いて、わたしの部屋には、もう7〜8年前からエレキギターがあるんだけど、そんなことを考えてしまったのははじめてで、自分が恐ろしく、みじめに思えて、涙がでた。

それでも近頃はギターを弾くのがたのしく、そのうち、どうにも人を殺せなさそうな、あたらしいギターを買おうと思ってる。

蚊取り線香

ベランダのどこかに匂いがあって、しかし蚊は網戸のあたりでいっそう生き生きと活力にあふれ、一方わたしはぼんやりとして、この匂いは去年の夏に嗅いだ、あるようでない匂いだなあと考える。

そういえば去年の今頃、わたしはなぜか他所の会社の会議室にこもって蚊取り線香をつくっていた。それがけっこう大変で、たとえば今日のような夏のはじけそうな晴天の日など、あのときさんざん私を悩まされた蚊取り線香の匂いが、自動的に思い出される。

しかし記憶の香り香で蚊がとれるはずがなく、そろそろ新しい蚊取り線香を買わなくてはならない。