2013年5月27日月曜日


きのうは東京蚤の市にいきました
わたしはアンティークのボタンと蝶番とかわいい本かいました














へんな人形こわいし全然いらないけど欲しかった  


これ。
高かったし目の前で違うおじさんに買われてしまった。
おじさんに服着せてもらえるといいね。


ディスプレイなどいろいろ勉強になりました たのしかった

















2013年5月26日日曜日

ムカ着火ファイヤー


弟が整髪料を付けすぎるので家中に整髪料のいやな匂いが充満してわたしはその嘘で誘うような甘ったるい匂いがどうにも耐えられず思いきり弟を怒鳴りつけた。
以後、自分の目の前で起こるすべての事象が腹立たしくて腹立たしくて仕方なくなってすべてのことに全部キレた。それはブレーキの壊れたオートバイに沸騰して吹きこぼれている鍋をのせて時速150キロで走るくらいの怒りだった。友達を傘で殴り、友達の恋人を罵倒し、知らないオヤジに蹴る殴るの暴行を加え、親に暴言を吐き、傘で殴り返してきた友達の乗り込んだ電車の窓を割り、傘をぐにゃぐにゃにしてどこかの家に投げ込んだ。それをみた男がわたしを捕まえて「おまえが如何にひどい女か全部明らかにして泣かせてやる」というのでまたメチャメチャに怒鳴ったが男はいちいち「ナンセンス」とか言って女を論破することだけが生き甲斐だぜみたいな顔をするので余計に腹が立って服を全部脱いで空を飛んで逃げた。

ここに書いたのはほんの一部で本当はとてもじゃないけどここに書けないようなことたくさん言ったりやったりしてほんとうに大人げないしひどいと思うけど爽快でもあった。
傘を投げた友人とその恋人には謝っていたしまとめていろいろブチギレたのでしばらくの間つよく優しく穏やかに暮らせそう。




2013年5月22日水曜日

泣きたい気持ち


泣きたい気持ちになることがあるけどそれって本当にどうかしています。
夕日を見ると泣きたくなるというひともいるし妙なものです。あえて泣くことを望むだなんて人間の機能が誤作動を起こしているかのようです。

たとえば顔に水が溜まっちゃって溜まっちゃって排水しないことにはどうしようもない、といった状況に置かれた場合なら涙を流すのはとっても効率的かなあと思いますけれどそんなことは無いし、なんだかんだ言ったところで現実は結局「泣きたいのに泣けない」っていう結末に至ったりするわけだからいよいよわけがわかりません。





茶しばき


高校生のときからわたしはずっとお洒落で都会的なカフェにいくのが好きなんだけど最近はどちらかというとそういうお洒落カフェに入るよりもおじいさんがうなりながら新聞を読んでるようななんか茶色くて古臭い喫茶店に入るのが好きになってきて私もうおじいさんなのかなって心配してたんだけど今日は久々におじいさんモードじゃなくて全てのテーブルで髪の黄色い女の人たちが大きな声で男の人の話をしているような洒落込んだカフェにどうしても入りたくて吉祥寺の東急裏にあるそういうカフェに入って書き物をしていたらテーブルに備え付けられているキャンドル的なやつの火で前髪を燃やしそうになった。

ちなみにわたしの前髪は生まれてこのかたずっと変で伸ばしても変だし切っても変だしなにをどうやっても変でほんとうに悩み。





2013年5月20日月曜日

五月二十日


・坂口安吾が「太宰治は情死したわけではない」と書いていたので嬉しかった。
でもそれを嬉しいと思った自分にちょっと引いた。

・仲間うちでなぜか「お銭湯」とか「おナイフ」とかいった感じに単語の頭に「お」をつけて微妙に丁寧さを出すというばからしいことが流行っているのだけれどさっきニュースをみていたら「天皇陛下 お田植え」という見出しが出てきてそれはぜんぜんばからしくなくてここ数日で一番テンションが上がった。


・友人がみんなして大森靖子さんのアルバムを良いというので聞いてみたらとてもかっこ良かった。ライブなどがあったら見に行きたい。









五月のばらのこと


きょうは昨日までにくらべて涼しかったものの、春ということに変わりはなく、春だから眠たくて、昼間にすこしだけ横になって眠りました。
幾分かすっきりしたような気がしたけれど、昼過ぎに夕飯の買い物に出たら、いまにも雨のふりそうな予感がするくせになぜか日向だらけだし、曖昧な感じが鬱陶しくて、すぐにまたぼんやりとしたくなりました。

きっと五月のこういったモヤリとした空気が、いろいろな物事の輪郭を曖昧にして、大人を憂鬱の淵に追いやるのかもしれないなあと、ため息が出て、そういえばこの間、友達の元気がなくて「どうしたの」ときいた時、友達は「ゴガツビョウだよ」と答え、持っていた紙パックのジュースのストローを遠い目のまま口にしたのだけれど、そのままただストローをくわえているだけで、ちっともジュースを飲んでいなかったことを、ふと、思い出しました。きっとその友達も五月のモヤリにぼんやりさせられていたのだろうと思います。だからほんとうに、五月はこわい。

ただモヤリの五月に、唯一救いがあるとすれば、それはそこいらじゅうの住宅などの垣根におおぶりのバラがばつばつと咲いていることで、何が良いかって、あれだけ大きくて美しいバラであれば、さぞ大きなとげをたくさん持っているんであろうくせに、バラ自身それについてどういうつもりでいるのか、飄々としていてわからないところ。それから、花びらの折り重なりの完璧さ、1つ1つの花の配置のバランス、凛とした趣もだらしない色気も持ち合わせた丁度いい塩梅で頭をもたげているところも、ぜんぶいい。

そういうバラたちの暮らしに道端のところどころで出くわす度、わたしは救われたような、愛おしいような、とても晴れやかな気持ちになります。他所のお宅のバラだけど、挨拶のひとつでもしたいくらい。

こうやってバラのことを思い出すだけで気分が良くなるわけだから、バラは、少なくともわたしにとっては、ゴガツビョウの類いには抜群に効くわけです。一昨年のちょうどいまごろ、家族に悪い病気が見つかったりいろいろで、ほんとうに落ち込んでしまった時期があって、そのときはもう、ほんとうにだめで、自転車でただ道を通っているだけなのに、「もういやだ」とかそういう言葉が、口をついて出てくるほど腐っていたのだけれど、兎にも角にもそれがバラの咲く時期で、わたしはほんとうに助かった。もし、あれが真冬の、枯れ木枯れ草だらけの時期だったら、わたしはもうここにちゃんといたかどうかも分からないんじゃないかと思うし、だからバラが飄々と咲く世界で暮らせて幸せです。生まれ変わったら、わたしもそういうバラになりたい。

いま部屋の窓を開けているのだけれど、こうしてバラのことをかんがえていると、雨のにおいに紛れて、どこからともなくバラの香りがしてくるような感じがします。もういっそ窓をあけたまま寝てみようか、いい声きこえそうか、と思うんだけれど、風邪ひいちゃうからだめか。まあ窓閉めて寝たって、結局部屋が寒かったり、ちゃんと布団かけなかったりしたら風邪ひくと思うし、やっぱり開けたまま寝たって、かまわない気がします。わたしはちゃんと布団をかけて眠るし、窓しめたところで夜があけそうです。














2013年5月17日金曜日

子供用紙エプロン


ひと仕事終えて屋台みたいなとこで1〜2杯ビールをのんで帰ってきてズボンをぬいだら後ろのポケットのところに「子供用紙エプロン」「高円寺発送(終演後処分)」と書かれた仕分け用のテープが張り付いていた。
恐らく私は今日ずっとこの状態で人としゃべったりほっつき歩いたりビールを飲んだりしていたのだろうしどうして誰も教えてくれなかったのだろう。

恥ずかしいので今後は子供用紙エプロンとして生き高円寺に発送され処分されてしまいたいところだけど、以前同じような感じでTシャツの背中に「かつら」と書かれたガムテープがへばりついていたこともあったし、しかもその状態で終電を逃したりして本当に最悪だったけど終電後の街で急に髪をむしり取ったりしなかったから今回もへこたれない。


2013年5月15日水曜日

おじさんについて

振り返ればおじさんに絡まれることの多い人生だが先日一緒に出かけた友人が分析するに「おまえがそのへんのおじさんをいちいち見るから暇を持て余したおじさんが暇つぶしに喋りかけてくるんだ」とのことだった。

なるほどわたしは実はおじさんが好きなのかなあ。


2013年5月14日火曜日

おに公園でのことと、立川の地下通路に描かれていた気味の悪い絵の写真





五月十四日

今日は立川という街を訪れた。

公園があったので寄ったら鬼がいた。赤鬼だった。
なんかテレビで見たことあるぞと思って写真を撮っていたら小汚いおじさんがやって来て
「それは鬼だよ、ここはおに公園だ!」
と言った。
見ればわかるよと思いながらも「へえ〜おに公園ですか」とか適当に言って鬼に描かれた落書きとかを読んでいると、おじさんはすぐそばの花壇に足を投げ出して座ってずっとこちらを見ていた。

おじさんがあまりに得意げな顔をしてこっちを見ているものだから鬱陶しい気持ちになって、なんとかそれを押さえながらさりげなく立ち去ろうとしたのだけれど、おじさんが今度は「節分の日なんかはすごいんだ、この辺が豆だらけになってね、子供達が、鬼は外〜!っつって」とか言ってカタカタ笑い出した。

なんかもう怖いよ、と思って、へえ〜とかはあ〜とか言って受け流そうとしたらおじさんが急に真顔になって「いやあでも、鬼は外、っつってもはじめっからコイツはずっと外にいるのにな…」なんて言い出して不憫そうに鬼を見上げたりしているもんだから、このおっさんこの鬼のなんなんだよと思いながらそれとなくその場を立ち去った。

少し歩いてから振り返ったらおじさんは花壇に横になって寝てた。
花壇にはたくさんの花が咲いていたのでおじさん天国にいるみたいになってたし、鬼はおじさんの事を横目で見下ろしていた。

立川はそういう街だった。











自転車の旅と手を繋いでいる人のこと


五月十三日

いけてる高架下と線路沿いの道を探さなくちゃいけなくて今日は自転車で延々走り続けた。

自宅から近い西武新宿線の上石神井という駅から新宿方面に上井草、井荻、下井草、鷺宮、都立家政、野方、沼袋、新井薬師、中井ときて一度池袋線方面に反れ江古田で別件の用を済ませてから今度は中央線の高架を目指して走った。
道はあまり分からなかったので適当に自転車を走らせていたらまあ中野について、中野から高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺と高架線を辿って帰宅した。

西武新宿線と中央線沿線だけとはいえ、わたしは今日いくつもの町を通り過ぎ、たくさんの人とすれ違ったわけで、その間いろんなことを考えたけれど、いちばん考えてしまったことは「手を繋いで歩く人」が多いなという事だった。

別にこれは手を繋いでるカップルの間を割いて通り過ぎたいとかいうネットとかでよく見る皮肉が湧いたわけではなく、人々が手を繋いで町を歩くことはなんとも平穏で幸せなことだと心から思うのだけれど、ゆっくりしか歩けないじいちゃんばあちゃんペアとか、ばあちゃんと若い兄ちゃんとか、ランドセル少年少女とか、老若男女あらゆるペアが手を繋いで歩いている姿はいちいちドラマがありすぎてそわそわしてしまった。

中でも上井草から井荻にむかう途中に仲睦まじげに手を繋いで歩いている男性同士のカップルがいて、わたしはその片方の男の方と目があってしまい、その瞬間もう片方の男が急に相手の男のお腹をパンチして「女の人のこと見ないで」と言い泣きそうな顔をしたとき、彼らの恋の辛い部分を全て盗み見てしまったような心地がして、やりきれない気持ちになった。

あと、2人ともそれぞれ自転車に乗っているのに手を繋いで並走する高校生カップルがいたが、それはなんか雑技団みたいだなと思った。


明日は立川という町に散策に行くけど手を繋いでる人がたくさんいる平和な町だといい。立川には今のところ、中学高校のときマラソン大会とかいって真冬にわざわざ走りに行った記憶しかないからなんとかしたい。






2013年5月12日日曜日

廃屋

訳あって、廃屋と成り果てている田舎の小屋を訪れた。

雑草にまみれた敷地の奥にひっそりと佇んでいるその小屋は、かつて物置きのようにして使われていた木造の小屋であるらしい。辺り一帯を真空パックにして無理やり時を止めたような独特の不気味さを醸しており、わたしは案内してくれた不動産屋のおじさんが小屋の鍵を開けるのを見つめながら「なんか出そうでやだなあ」と呟いた。

おじさんはしばらく黙って入り口の古い鍵と格闘していたが、やがてガタガタと扉を開け、おどけたような口調で「それがね、何も出んとよ」と言った。
なんでも、なにかそのようなものが住み着いていたらいけない、ということで近所の方の知り合いの霊媒師さん的な人に見てもらったことがあるらしい。
曰く、「こちらには人の霊も動物の霊もなにもいませんからご安心ください」との事だったそうだ。
「なにしろ物置だったけんね、特になにかの念が残ることもなかよ」おじさんはそう言ってガチャガチャと鍵をポケットにしまった。

「そうですか、それは良かった」
わたしはそのように言ったものの、霊すらもいないほんとうの空っぽに入っていくというのは、それはそれで恐ろしいことのような気がした。たとえば真空の瓶をあけると一瞬の間もなく空気が吸い込まれるように、自分が空っぽ中の空っぽの小屋に一瞬の間もなく取り込まれていくようなイメージが脳裏を何十往復も駆け巡った。

しかし心配も束の間、ほんとうの空っぽというのはそう滅多に起こり得ないことであるようで、足を踏み入れるや否やそこにありありと在るホコリの存在に気付かされた。棚も電灯も一部の床すらもない癖に、ホコリだけが有り余る程存分にあったのだ。それから台所の入り口の柱に1992年の6月のカレンダーがあったけれども、この小屋の中ではホコリばっかり威張っているもんだから、カレンダーはどうやら肩身が狭いらしい。力なく傾いて、とても申し訳なさそうにしていた。

さて、ほんの一瞬こそここがほんとうの空っぽでないことに安堵したわたしだったが、威張り散らす大量のホコリも古すぎるカレンダーも結局は忌まわしいものでしかなく、すぐ近くのディスカウントショップで雑巾と軍手とはたきを買ってきてそこをほんとうの空っぽにしてやった。

小屋の掃除を終えてから近くの銭湯に行った。帰りの車の中で、自分の父親が幼い頃先ほどの小屋を秘密部隊の基地に見立てて遊んでいたことを聞いた。父がかつて率いていたものが秘密部隊だっただけに気付かなかったが、あの小屋はあれだけホコリを払っても空っぽにはなり得ないようだった。
ホコリが威張らなくなったあの小屋の中で、父の思い出だけがカラカラと音を立てながら飛び回るのが、自宅に戻った今になって聞こえる。





2013年5月10日金曜日

天井

天井を殺したい。
仰向けに寝転がったままそんなことを考えていてハッとした。

自分の日記帳に「AKBにわたしより年下でわたしより太ってる人いっぱいいるのに」と殴り書きしてあるのを見つけた。

その時わが身に何があったのか思い出そうとしたけど何も思い出せない。
自分のことなのにあまりにも理解に苦しむ。
なにかしら思うことがあったのであろうが忘れたな。

こうやってさ、
いろんな事が日々わたしのまえを通り過ぎていく。
薄い布切れが大量に目の前を吹っ飛んでいくみたいにして至極無感情に通り過ぎていく。

そういうのはあんまり良くないなと思う。
やっぱり天井を殺したい。




この投稿はたぶん明々後日くらいには恥ずかしくなる。
「AKBにわたしより年下でわたしより太ってる人いっぱいいるのに」の時点でまずもう既に少し恥ずかしい。毎日何を言っちゃってるんだろうな。















2013年5月8日水曜日

眠る間


昨晩は笑いたい気分だったのでバスター・キートンのコメディ映画のDVDを借りてきて再生したら一度見たやつだった。なあんだと思ってごろんと横になったらそのまま眠ってしまった。

私がぐっすり眠る間、つけっぱなしの画面の中では白黒の人たちがコミカルな出来事を延々繰り返していたことを思うと虚しいような申し訳ないような気持ちになって目が覚めてから改めて見てこっそり笑っていたらまだ早朝だというのに疲れてしまったけれど白黒の人たちも頑張っているのだから頑張ろうと思った。








2013年5月7日火曜日

五月六日

日記。

五月六日月曜日。



つい去年まで通っていた大学に自転車で行くのに迷子になってしまった。

ただしこれは学校のことを忘れてしまったわけではなくて、通学に使ったことのなかった良さげな道を適当に走っていたからわかんなくなっちゃっただけの話だ。
しかも迷子になることは嫌いではないので別に哀しくも悔しくもなかったし、そもそもわたしは一寸も迷わず学校についたところで、いや家に居たって迷子みたいなものだから別にいいんだ。

でもそうは思っていてもあんまり迷いすぎると疲れる。暑くてすこし休もうと思ったらちょうど目の前に「ガラクタ公園」という雑な名前の公園が現れた。

そこはガラクタとかいうわりに植え込みに沢山花が咲いているようなきれいな公園であった。ただしブランコとか滑り台とかジャングルジムといったきちんとした遊具はどこにもなく、丸や三角にくり抜かれた壁が水平も平行も無しに立っているだけで、あんまりよく意味がわからなかった。
しかもほんとうに微妙なところにしか日陰がなかったので、こんなところで休めるもんかと思ってそのまますぐに立ち去った。

半ばむしゃくしゃしながら一層適当に自転車をこいでいると、余計にわけのわからない入り組んだ住宅街に来てしまった。住んでいても迷いそうだなあと思いながら進んでいると、小道の両側にマネキンやらハンガーにかけた婦人服をならべた怪しげな商店のあるところに差し掛かった。気味悪く通りづらいと思ってブレーキをかけた時、店の奥からワンピースを着たオバさんとおばあさんの間くらいの人が出てきた。後ずさりたい気持ちになったが、自転車でバックすることはなかなか難しいのでこっそりと通り抜けた。ちょっと現実離れにも程がある感じだった。気になるけどもう一度探そうとしたところで二度と辿りつけなさそうだ。

入り組んだ住宅街を抜けると案外あっさり線路沿いのよく知っている道に出たので、一瞬夢でも見ていたのかなというような気持ちになった。無事に大学について用を済ませたあと、卒業生のくせに図書館に行ってずっと漫画を読んでいた。途中で夕立がきてゲロゲロと雷が鳴って雨が降ってサッとやんだ。夕立というのは気楽なものだなあと思う。止んだあとすぐの夕焼けがあんまりケロッとしていたのでそう思った。大学生のときも図書館で本を読んでいるときに同じ窓から夕焼けを見たが、このケロッとした感じは夕立のあとでなければ拝めないような感じがしている。

この日はたぶん生まれて初めて1日に8冊も漫画を読んだ。多いのか少ないのかはよく分からないけど、これは恥じるべき事だとは思う。もっと昔から漫画をたくさん読めば良かった。























2013年5月3日金曜日

人間であるかどうかの確認



これはきのうある友人の指摘を受けて知ったことなのですが、このブログは「人間であるかどうかの確認」を行わないとコメントを送信できない、という奇妙且つ面倒な設定になっているようです。

わたしはこちらで、ただ自分が、何かしら文にしたためて暮らしたいという私的な欲を満たすべく、好き勝手にものを書いているわけであります。そんな、作家先生の真似事のような、至極軽率な、気取った、稚拙で浅はかな雑文を、わざわざ読んで下さる方がいるというだけで、生活がパッと照らされたような心地であるのに、さらにわざわざ読んで反響まで寄せて下さる方に対して「人間であるかの確認」だなんて、そんな失礼な話はありません。


なんだか、こんなんでも読んでくれる人がいるのも含めてありがたいのと、申し訳ないのと、恥ずかしいのとで、戦後間もない頃に何らかのしょうもない罪を犯した人間が獄中で記す手記みたいな文章になってしまっていますが、そもそも、(いや、こんなことを言って良いものか分かりませんが、ここはひとつ正直になるとすると、)自分の書いたものを、誰かしらが読んでくれるという嬉しさは、別にその読んでくれるのが人間じゃなくたって、犬だって猫だって魚だっておばけだってミイラだって、変わらないです。そりゃあ、読んだわけでもなんでもなく、ただ欄があるねということでエッチな宣伝とかをされたら引きますけれど。


なので、もっと読んでくれとか、なんかくださいとかそういうわけではありませんが、人間であるかの確認をするという、奇妙奇天烈な設定は取っ払って、みんな人間ということに今はなっています。



今朝は吉祥寺で楳図かずお先生らしき方をお見かけしました。人間離れしたオーラをお持ちでした。















2013年5月2日木曜日

根暗

昨日、少し前に書いた小説じみたものなどが出てきたので読み返してみたところ、自分が暗くてびっくりした。
あなたは自分が想像している以上に根暗だから覚悟なさい、と自分に警告するような気持ちになった。

高校の頃、わたしはあんまり頻繁に鼻血をだすもんだから部活仲間に「鼻血のはなちゃん」という呼称を与えられたんだけど、それが1週間後くらい経ったら「ネクラのはなちゃん」に変わっていたことがあった。「ネクラ」とだけよぶ男子もいた。

友人たちにそこまで悪意はないようだったので「なんだよそれ」くらいに思っていたが、今考えると友人たちはわたしのことを本当によくわかっていたなあと思う。

今日、友達に「莉恵ちゃんも人に指をさされるくらい派手に化粧をする時期を作った方がいい」と言われた。
恐らくそういうことだろうなと思う。



ギャルにでもなるか。
嫌だね〜



















2013年5月1日水曜日

ものずき

昨日西荻窪の「物豆奇」という喫茶店になんとなく入って席に座ったら目の前に時計が3つもあった。

時計多いなと思ったけれどもとりあえずコーヒーを頼もうと思って振り返ったら後ろにも時計が4つ掛かっていた。

本当に時計多いなと思って店内を見渡すと、店じゅう時計だらけだった。チクチクチクチクそこいらじゅうで鳴ってたまにボーンと鐘もなった。ほとんどの時計はあるだけで時間はめちゃくちゃだったが、たぶん20個くらいあった。

飲食店では時間を気にせずゆっくりくつろいでほしいという配慮から、客によく見える位置には時計を置かない店が多いという話を聞いたことがある。

だから時計だらけのこの店は明らかに業界の標準を覆しているわけだが、あんまり時計がありすぎると時間よりも時計の姿形ばかり気になって、逆に時間を気にすることを忘れた。

時間を忘れて時計を眺めるというのは、今考えると阿保な心地でしかないけれど、これはこれで「飲食店で時間をわすれて過ごす」という点においてきちんと成立しているので、素敵なお店だったと言わざるを得ない。

お会計の時にお店のおじさんに
「時計、多いですね」
といったら、おじさんは
「はい。で、40円のお釣りです。ありがとうございました〜」
と言った。
びっくりしてものすごくいい返事をしながらお釣りを受け取ってしまった。

ちなみに時計だけでなく、ランプもやけにたくさんぶら下がっていた。あとケーキセットが安かった。また行きたい。







ポピイ


これはほんとの話なんだけど、皇居の近くのどっからへんで、緑色の桜が咲くらしい。
緑色の花びらだなんてね、そんなもん、葉っぱだ。

と、街の花壇のポピイたちが皆して話していました。ぺちゃくちゃと何度も頷き合いながら話していました。そしてそこにはイブサンローランの口紅の匂いが漂っていました。




ポピイの中にはモルヒネが採れる品種があるらしくて、
それを知ってからポピイをみているとあるはずもないイブサンローランの口紅の匂いがするような気がしています。わるい女の匂いです。でもわたしはポピイがなかなかすきです。見た目がかわいいからです。

緑色の桜なんてわたしは嫌です。こっそりとしやがって。