2013年12月1日日曜日

終電後の駅の灯り

この本は良いよ、と言われて借りたふるい随筆の本を読んでいたら、随筆という行為の、そのクリーンさに泣きたくなって、わたしは、ここのところずっと、やけくそだなあと思った。
最近では、なにか悲しいことがあっても、その悲しささえ、緻密に捉えることができなくなっており、むしゃくしゃしながら「あーもう」とか、「もうやだ」とか、そういうつまらないひとりごとでその場をしのいだり、悲しいということだけを思って、思考をめぐらせることも、動くこともせず、ただ、立ちすくんだりしゃがんだりしてしまうことが増えた。

悲しみを因数分解して、ならびかえたり飾ったりして文字に起こしてみたりして悲しみさえ美化してみることが、以前のわたしには救いだったのだけれど、そのことを結構情けないことだと思っていて、
しかし、それすら出来なくなっているいまの状態のほうが、本当に情けないぜとおもう。

どうせ悲しく、どちらにせよどうしようもないのなら、逃避じみた悲しい詩人を気取る方が、若干、生産性とかもあるんじゃないかと思うし、いまから帰れるのなら、帰りたい。



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