小雨の降るじっとりとした朝だった
わたしはその日何ともなしに悲しかったので、
こんな朝にあのひとが死にたくなる気持ちがわかるような気がした
青いビニールシートに覆われていくそのひとは、
死んでいた
わたしは憂鬱な乗り換えのために混雑した階段をのぼりながら、
足の筋肉が重くなるのを感じて、自分の生きていることを自覚した
いまのところ死んでしまうことはないだろう
刃物で突き刺されても死ななさそうだ
かといって刺すのはやめてください
自分がまだ死ねないと思っているのは、
志半ば、とかそういうことよりも、
死ということが大層美しいものであるように、
近頃は思えてならないからだ
究極の美であるかのように思えるからだ
そしてわたしはまだそこまで美しくなりきれていないからだ
美しさということについて
たとえばその定義について
ほんとうの美しさというものについて
わたしは考えたことが今までになかったが
ある感覚で、美しさの究極というものを
死ということに位置づけてみたら、
なにもかもがしっくりくるような気がした
事実、わたしの母は、
病を患いながらもきちんと生きているが、
2年程まえから、そして近頃は顕著に
死という事を覚悟しているように見える
無論、母だってほんとうはまだ死にたくもないだろうし
死なないための努力もしていて、
血の湧くように生きる事を望みながらも、冷静な気持ちで死を受け止めている
そういう母の姿は
からだこそ老い、少しずつたしかに病人らしくなってはいくが、
今までわたしが彼女の娘として生きてきた人生の中で
最近が最も優しく、最も強く、美しくなっていくのだ
母は生きている
生きる望みを断たずに死を覚悟するしたたかさが母を美しくするのかもしれない
そうして美しさをどんどん増して、すこししたら究極の美に到達してしまいそうだ
わたしにはその美しさがまだ恐ろしい
母の美しさよ未完成であれ、と、わたしは願う
母は優しい曲線を描いて昼寝をしている
明日から母はまた入院をする
病院のご飯がまずくて嫌だと言っていた
母はまだ生きている
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