先日友人がバーに連れて行ってくれた。
それはいかにも「バー」といった感じのバーだった。
狭い店内にはL字のカウンター席がどんとあり、
常連客らしき人々が顔の整ったバーテンを交え談笑に花を咲かせていた。
カウンターの向こうには無数の洋酒の瓶が暗く光っていて、顔の整ったバーテンはそのうちの1つを軽々と手に取っては注ぎ、客に出している。
わたしはそういうバーたるバーに行ったのは初めてだったので、ひどく感動した。
そして小さいころ電車の中で突然知らないオジさんが
「お嬢ちゃん、オジさんがバーにつれていってあげる」
と言ってきたことを思い出した。
私はオジさんを見つめたまま無視をした。
そのころの私はおじさんが発音する「バー」が何を指し示すのかも分からないくらい無垢な少女だったからだ。
その無垢さがどれくらいのものだったかについてもう少し言うと、そこで「あなたはバーじゃない、ジーだ」というくだらない指摘さえも思いつかないくらいの無垢さだ。
まあなにも分からなかったとはいっても、小さな赤ちゃんが言ったり言われたりする何も意味しない愛嬌としての「ば〜!」ではないことくらいは分かっていた。
ただ無垢な少女とはいえその愛嬌としての「ば〜」を言ってもらったところで喜べるような年齢ではなかったので、やっぱり無視をする他はなかったと今も思う。
オジさんはそんなあまりにも微妙なお年頃だった私にしつこく話しかけてしまったがために、最終的に駅員さんにめっちゃ怒られていた。
自宅に帰ってから私は母に「バーって何?」とさっきのオジさんくらいしつこく聞いた。
母は少し困った顔をしながら「大人がお酒を飲むところよ」と教えてくれた。
そうかあ大人がお酒を飲むところかあ、とそのときはそれだけの情報しか入手できなかったはずなのだが、
いったいいつの間だったのだろうか、大きくなるうちに頭の中にハッキリとバーのイメージが完成していた。
静かに音楽のかかる薄暗い店内、扉をあけるとカランコロンカランとベルが鳴り、白いシャツに黒いベストをきちっと着たマスターが「いらっしゃいませ」と礼をする。カウンター席にはすでに1人できている年配の男性客と、30代くらいのカップルが掛けていて、それぞれウイスキーのロック、青色のカクテル、水割りのグラスを傾けている。彼らの話し声は静かで、店内にはバーテンダーがシェイカーを振る音が響き渡る。
そんな中自分もカウンター席に掛け、マスターに「いつもの」を注文する…!
きっとそういった「Bar」のバーたる姿を、テレビやら映画やらで見たのであろう。
そしてそこにほんのりとした憧れを持つようにさえなっていた。
友人が連れていってくれたバーは吉祥寺のハモニカ横町の一角にあった。
冒頭でも述べたが、店内はまさにバーたるバー。白のシャツに黒のベストを着たバーテンがカクテルグラスに注がれたお洒落なお酒を出す。
まあ想像よりも多少騒がしかったのだが、金曜の真夜中だから仕方のないことだとすれば、そこは憧れていたままの空間であった。
こんなところで友人と仕事や恋愛について語らうなんて、ああ大人になったのだなあ、と感慨深くなった。
そしてあと何回ここに来たら「いつもの」と言えるようになるか、と考えていたとき、思いもよらぬ事が起きた。
店内に突如、小太鼓の音が鳴り響いたのである。
まさか、と思った。バーという空間において、何をどう間違えたとしても小太鼓の音は鳴り響かないだろうと思っていた。ドラムの生演奏、みたいなのはまだあるかもしれない。ただその時鳴り響いていたのはどちらかというとマーチングのような、軽快で溌剌としたものだった。
ちょっとゾッとして奥の方の席に目をやると、軽快なステッキさばきでもってタッタラタッタラタタタタタ、と小太鼓を叩いてる男性客が本当にいた。
びっくりした。
ちょっとショックだった。
大人っていうのは、幼い頃想像していた以上に、ほんとうになんでもアリだなあ、と思う。
いつか、わたしもバーでトライアングルあたりをかき鳴らしたい。
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