2013年4月2日火曜日

夢日記とメモ


うたた寝をしていたら、夢に若い頃のムラカミハルキが出てきた。
まあわたしは若いころのムラカミハルキがどんな顔かしらないはずなんだけど、夢のなかではその若い男がムラカミハルキであるということに合点がいってたので、ムラカミハルキなんだろうと思う。

わたしはその若かりしムラカミハルキと2人でいた。古い家の縁側のようなところで、話をするわけでも、キスをするわけでもなく、ただ、黙っていた。わたしは床に座っていて、彼はそこらを少し歩いたのち、少し離れたところに座った。

ムラカミハルキはすらりと背が高くて、耳にかかるかかからないか位の長さの黒髪で、学生服に下駄を履いていた。色白で、憂いを帯びたような整った顔をしていた。無駄のない足取りでてくてくと歩き、必要以上に笑うことがなかった。かっこいい人だと思った。すごくすごく、かっこいいんだなあ、と思いながら見ていた。

彼はわたしに、
「ピスタチオのジェラートが食べたいね」
と言った。唐突にそう言ったのだった。
わたしは何も言えなかった。何か言いたいことはたくさんあるような気がしたけれど、言葉にならず、なにかを試すような彼の横顔を黙って見ていた。

そういう夢だった。

うたた寝から覚めると、わたしは夢の続きについて延々と考えた。あのとき、どうするのが良かったのだろうかということを。

・すぐにその場を立ち上がってバスに飛び乗り街に出て、ピスタチオのジェラートを買い求める。
・そこまでしなくても魔法のように冷凍庫からピスタチオのジェラートを取り出し、グラスに盛り付けて見せる。
・なんならついでに庭に降りていって、ピスタチオの木(ピスタチオが木に生えるものなのか、はたまた庭に生えるものなのかは知らないけど)の下に梯子をたて、2つ3つもぎとってジェラートの傍らに飾り付ける。

たとえばそんなふうにしていたら、ムラカミハルキはどんな顔をしたであろう。わたしと彼は、笑って話をしたり、キスをしたりしただろうか…!


そんな風に来るはずのない夢の続きに思いを馳せたところで、実は村上春樹の作品は、『ノルウェイの森』しかちゃんと読んだことがない。
『夢で会いましょう』というのも最後まで読んだけれど、あれはたしか糸井重里との共著だった。あと『1Q84』を途中まで読んだけれど、途中で古川日出男の新刊に浮気して、結局最後まで読んでいない。

だからそれといって村上春樹のファンというわけでもないのだけれど、唯一最後までよんだ『ノルウェイの森』の中に、忘れられない一節がある。

それは主人公のワタナベくんとミドリがする会話で、長くなるけれど抜粋してここにメモしておく。夢の中でピスタチオのジェラートを食べたがるムラカミハルキに出会わずとも、これからも度々思い出して考えることの多い内容だと思うし、朝までまだ時間があるので。

ーーー

「私すごく完璧なものを求めてるの。だからむずかしいのよ」

「完璧な愛を?」

「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めてないのよ。私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。
たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて、『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなものもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めてるのはそういうものなの」

「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな」

「あるわよ・・・女の子にはね、そういうのがものすごく大切なときがあるのよ」

「苺のショート・ケーキを窓から放り投げることが?」

「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショート・ケーキを
食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい?チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』」

「するとどうなる?」

「私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」

ーーー

この会話について、村上春樹好きの友人と何度か話をしたことがあったが、大抵「見返りを求める愛」だとか「無償の愛」とかいう話になった。
でも誰も愛のことなんてわからなくて、途中でこっぱずかしくなって、結局「ミドリとナオコ、どっち派か?」みたいな話に落ち着く。

わたしたちはそうやって何度も愛の定義を、居酒屋の天井に宙ぶらりんにしてきたものだ。

ミドリだって「そのぶん愛する」っていうのがどんなことなのか、宙ぶらりんにしたまま掴めずにいるように思う。

ミドリの言う「そのぶんの愛」の概要はおそらく、彼女たちの寂しさや弱さや傲慢さや必死さや不安のかたまりだ。
それがどのように表されるのか、いや、愛っぽく表すことができるのかどうかは、彼女たちにとって、わからないことなのだ。わたしにもわからない。
そしてそれは村上春樹にも、ムラカミハルキにとっても同じようにわからないことなのかもしれない。


そのわからなさ、むつかしさ示すかのように、わたしが先程読んだと書いた糸井重里と村上春樹の共著『夢で会いましょう』の中で、村上春樹は『ブルーベリー・アイスクリーム』というタイトルの短編を書いている。

その短編はこうはじまる。

ーーー
「ブルーベリーのアイスクリームが食べたい」と夜中の二時に彼女が宣言した。

ーーー

ミドリみたいな彼女が、ここにもいるのだ。
そして物語の主人公はそんな彼女のために、実際にブルーベリー・アイスクリームを探しに行く。
だけどそんな真夜中にブルーベリーのアイスクリームだなんてそう簡単には手に入らなくて、けっこうとんでもない面倒に逢うんだけど、なんとか手にいれて彼女のもとへ戻る。で、ネタバレしちゃうけど彼女は既にぐっすり眠っているんだ。そして何を責めるわけでもなく話は終わる。主人公にその分の愛は与えられない。

愛はむずかしい。夢に出るほどわからない。どんなに考えたって、自分がきちんとなにかを愛することができるのかわからないし、与えられた愛にさうまく気付けないようにも思う。
だれかと語り合いながら紐解こうとしたって、小っ恥ずかしさのわりに厄介で、堂々巡りの代物だ。

ムラカミハルキは夢のなかでそれについてわたしに問い、宙ぶらりんのわたしはなにもできなかった。

でも、もういっそあの時「一緒に買いに行こう」って言えばよかったのかな、とはちょっと思う。そういうことじゃないのかもしれないけど。全然違うって言われてしまうかもしれないけど。

でもほんとうはそれがいいな。一緒に買いに行って、愛とかはそのあとでいい。よくわからないし。






















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